吃音の私

この前の続きを書きます。

小中学校は、幼なじみの子達と過ごせましたが、高校は、別々になってしまったので、はじめは吃音の私に、友達は、できるのかととても不安で、時間がかかりました。

この頃になると出ない言葉を言い換えて、なるべく症状がでないようにしていました。

でも、言葉を言い換えられない音読は、どうしようもなく辛く、恥ずかしくて机に顔をふせて悔し涙を何度も流しました。

普通の人からすると感じた事はないと思いますが、喉に鍵がかかったように出なくなるのです。意識すればするほど、その鍵は開かれる事はなく、声を絞り出すようになるのです。

正解の答えをわかっていても言葉が出ないとなると、「わかりません。」と答えるしかないのです。言葉は、普通の人が歩くとか食べるとか当たり前にできる事だと思います。意識なんかしないで普通にしている事だと思います。

大人になるにつれて幼い頃にはあまり感じる事がなかった恥ずかしさがより強くなり、劣等感の塊になり、自分に自信が全く持てなくなりました。

自分だけという意識の中で、常に頭のどこかで孤独と不安な気持ちがありました。

吃音の症状は、そんな感情の中で、より悪化していきました。

そして、今でも夢で何度もうなされる出来事が起きてしまいます。

卒業式で、名前を呼ばれてただ順番に返事をするだけですが、「はい」が出なくなってしまったのです。

みんなの「なんで言わないの?」と言う視線が・・・出来ない自分が・・・

全てが、辛すぎました。

この出来事が吃音をまたより一層悪化させていきました。

あの頃は、この私を一生苦しめ続けていく吃音について調べるすべもありませんでした。

きっと今だったら、検索して同じように悩んでる人達を知れたのにと思います。

普通の人は悩みすぎと思いますが、私の場合は今まで生きてこれたのは不思議なくらい辛かったです。

次回に続きます。