吃音の私

 

前回の続きを書きます。

やっとの思いで卒業し保育士の資格をとりましたが、もっと大変なのは、私が保育士として働けるのかという事です。

筆記試験でかろうじて合格しても、面接試験で落とされる。当たり前ですよね。緊張が増す面接でろくに話せない私を雇ってくれるはずがありません。

卒業間近で学校の先生の紹介で採用されました。

今でも申し訳ないと思っていますが、研修中に自分の悩みで頭がいっぱいなのに、大切な子どもを見れるはずがないと思い、就職を辞退しました。

4月になって皆が就職先で頑張っているのに私は、駄目な人間だと落ち込みました。

家に引き込むことも出来ない私は、アルバイト採用で病院内の託児所で働く事にしました。色々な場面で吃音に悩まされ、心を閉ざした私に人間関係もうまくいくはずもなく、また逃げてしまいました。

その頃になると、吃音以外にも、自分が保育士に向いていないと実感しました。

だからといって、吃音を持っている私に出来る仕事はないのはわかっていましたが、

憧れの医療事務にチャレンジします。

電話や患者さんとのやりとり全てにおいて、失敗と迷惑をかけたと思っているけど、働かせてもらいました。今思えば、首になってもおかしくないと思います。

夜間とか日曜日とか他の人が働きたくない時間帯に働き、自分が雇ってもらえる意味を探していました。

こんな感じで仕事が休みの時は、クタクタに疲れ、どこにも行く気がしなくて家に引きこもり、仕事だけはいかなければと10年以上続けていました。

次回に続きます。。

 

吃音の私

はじめて、お知らせの吹き出しが、赤くなっていて誰かが読んでいてくれているのだと思うとまた、幸せな気持ちになりました。ありがとうございます!

暗い話ばかりで、気持ちを害されるかもしれませんが、今、悩みを抱えてる人がいましたら、私よりはマシかな。なんて思って、少しでも元気がでればうれしいです。

 

この前の続きの高校後の進路について書きます。

色々悩んだ結果、勉強も運動も特ににできる方ではなかったので、一番授業料がかからない保育士になる為の学校に入る事にしました。

しかし、吃音者の私には無謀な挑戦でしたが、あのころは、練習をすれば話せるようになると思っていました。

現実、学校は地獄でした。

吃音の症状はさらに悪化をしてしまい、精神的にボロボロになってしまいました。

何度も学校を辞めようかと思いましたが、何も出来ない私が学校を辞めてしまったらどうやって生きていくのかと考えると怖くて、耐えるしかなかったです。

今思えば、できない事にこだわって吃音を直したいという気持ちと、話せる人にあこがれて執着しすぎていたと思います。

もっとあのとき、少しでも自分が楽な道を選んでいたら、でもあの頃は、逃げてはいけない。と考えていたし、他に道もなかった。

今なら、様々な情報もあるし、生き方もあると思います。

出来ない事を伸ばすよりも少しでも出来そうなものを伸ばしていく。という考え方があってもいいのでは。と思います。

私には出来なかったけど、子どもには、そういう気持ちで育てています。

勉強や運動の事よりも、学校に行っているだけで、頑張ってるね。と褒めてしまいます。最近は子どもが、なんで学校に行ってるだけなのに褒められるのかわからず困惑しています・・・

甘い親ですね。究極に言うと生きていてくれるだけで、幸せなんですよね。

 

 

小さな幸せ

お題「#この1年の変化

この一年在宅勤務を目指そうと決めましたが、収入がないのは現実的問題です。

なので、節約に奮闘中です。断捨離で不要なものを売ったり、ポイ活をしたりしています。

今までは面倒で続かなかったポイ活も日々続けていくと小さな幸せがあるのだと気づかされました。たった1円でも0円よりは良いと思っています!

お金の価値観がすごく変わったような気がします。

今まで忙しすぎて子供の服やおもちゃなどそのままにしていましたが、断捨離をしていくうちに気持ちが落ち着いたり、すっきりする気がします。

また、思い出の詰まった服やおもちゃを誰かが必要としてくれるなんてすごく幸せだと思いました。包装しているときは、購入してくれた誰かの事を思うと本当にうれしいです。

幸せの価値はその人なりだと実感しています。

もちろんお金を稼がなければいけないのですが、今は自分なりの幸せを感じて日々過ごしていきたいです

 

この1年、どんな思いを抱いていましたか?

お題「#この1年の変化」

私は、仕事に対しての変化がありました。

仕事は、外で会社に行くしかないのだと、体を何度も崩して心も体もボロボロの毎日でもそうするしかないのだと思っていました。

しかし、コロナで自粛生活になり、在宅で働けるような仕事が世の中にあるということを知りました。

思い切って仕事を辞めて在宅勤務で出来る仕事を今、勉強しています。

簡単ではない道ですが、これからは、自分に正直に生きていきたいと思えるようになりました。コロナの自粛が私にとっては、生きる希望に変わりました。

人の視線が気になって、コロナ前からマスクをしないと外出できなかったです。

今は、みんながマスクをしているので、安心感がでて、外出ができるようになりました。

沢山の人達が自粛に辛い思いをしていると思いますが、私のように今まで自分を責め続けて社会が怖くて仕方ない人達に神様がもう一度、頑張って生きて欲しいとチャンスをくれたのだと思います。

そう信じて自分がやりたい仕事に挑戦していきたいと思います。

吃音の私

次回の続きです。

高校生活が終わるにつれて、自分の進路について考えます。

私の高校は、就職と進学が半々位でしたが、バイトもできない私が就職なんてできるわけないと思っていました。

でも、やりたい事も見つからない。

私の親は、高校までしかお金は出さない。という考えだったので、進学するなら自分で返しなさいと言われていました。

姉は、その言葉通り、4年生の大学に奨学金を借りて、高校、大学とバイトも続けていました。

私とは違ってしっかりしていて、姉に対して、常に劣等感をもっていました。

姉妹なのに私だけが吃音をもっている。姉がいつも計画通りに進めていることに羨ましさと妬みみたいのがあって、仲の良い姉妹ではなかったと思います。

親、姉妹平等にという考えが強かったから、姉にできて私が出来ないという特別な考えはありませはんでした。

吃音者はすごく理解されない障害だと思います。普通に話せる時もあるから、わざとやってるのではないかと思われてしまったり、人に話してもわかってもらえないという思いから、自分自身で深い悩みに落ちてしまうのです。

進路について書こうと思っていましたが、また次回にします。

吃音の私

前回の続きを書きます。

高校生活ですが、バイトもしてみましたがまず、人生はじめてのバイト面接。憧れの接客業は私にはできるはずもなく、厨房を選択しました。でも、面接でひどく吃音がでてしまい不採用。

本当はコンビニのレジが良かったから、面接は少し話せるようになっていたので、採用されましたが、実際お客さんの前になると、「何円です」が出てこない。言わないと、と焦れば焦るほど出てこない。

こんな状態で、店長に注意されて、自分が悔しさと情けなさで、結局辞めてしまい、長く続けられたことはありませんでした。

 

親に、小さい頃、なんで言葉が出ないかと聞いたとき、無知だったから仕方ありませんが、大人になったら治るからと言われ続けていました。

その言葉を信じてきたけど、成長すればするほど、どんどん悪くなっていく事に恐怖しかありませんでした。

ただ、場数を踏み、恥をかいても苦手な場面にでていけば治ると、自分に言い聞かせていました。

今思えばその行動で改善される人もいるかもしれないが、私の場合、吃音に支配されて、よりトラウマが強くなり、症状が悪化してしまったのだと思う。

次回は、進路選択について書きたいと思いますが。

吃音の私

この前の続きを書きます。

小中学校は、幼なじみの子達と過ごせましたが、高校は、別々になってしまったので、はじめは吃音の私に、友達は、できるのかととても不安で、時間がかかりました。

この頃になると出ない言葉を言い換えて、なるべく症状がでないようにしていました。

でも、言葉を言い換えられない音読は、どうしようもなく辛く、恥ずかしくて机に顔をふせて悔し涙を何度も流しました。

普通の人からすると感じた事はないと思いますが、喉に鍵がかかったように出なくなるのです。意識すればするほど、その鍵は開かれる事はなく、声を絞り出すようになるのです。

正解の答えをわかっていても言葉が出ないとなると、「わかりません。」と答えるしかないのです。言葉は、普通の人が歩くとか食べるとか当たり前にできる事だと思います。意識なんかしないで普通にしている事だと思います。

大人になるにつれて幼い頃にはあまり感じる事がなかった恥ずかしさがより強くなり、劣等感の塊になり、自分に自信が全く持てなくなりました。

自分だけという意識の中で、常に頭のどこかで孤独と不安な気持ちがありました。

吃音の症状は、そんな感情の中で、より悪化していきました。

そして、今でも夢で何度もうなされる出来事が起きてしまいます。

卒業式で、名前を呼ばれてただ順番に返事をするだけですが、「はい」が出なくなってしまったのです。

みんなの「なんで言わないの?」と言う視線が・・・出来ない自分が・・・

全てが、辛すぎました。

この出来事が吃音をまたより一層悪化させていきました。

あの頃は、この私を一生苦しめ続けていく吃音について調べるすべもありませんでした。

きっと今だったら、検索して同じように悩んでる人達を知れたのにと思います。

普通の人は悩みすぎと思いますが、私の場合は今まで生きてこれたのは不思議なくらい辛かったです。

次回に続きます。